〜第5幕 日本1周〜 =第18週=
2004年10月10日 (日)

昨夜遅くまで起きていた他のキャンパーに睡眠を著しく妨害された朝は、やはり何処か重いものだった。
天候は予報では崩れる筈。
そんな訳で、今日もここから動かない生活が始まるのだろう。
図書館にも流石に行き飽きた。
でも、それしかない、イヤ、その選択が一番時間を潰せるものだろう。

朝食を食べ終わり、のんびりとしていると、どうも手持ち無沙汰だ。
分かってはいたが、図書館へと向かう。
図書館では先ず初めに、天気予報を調べる。
明日、天気が良さそうだったら引き上げる。
その思いも虚しく、明日の天候は雨模様。
しかし、明後日には回復する見込みなので、明後日には、確実にここを引き上げる事と、心に誓う。
この生活にはもう飽き飽きしてきた。
なのに、何故ここに留まっているのだろうと、自問自答する。
それは未練なのかも知れない。

図書館ではDVDを1本見て、早々にキャンプ場へと引き上げる事にする。
キャンプ場に戻り、昼寝をして、そして起き上がると夕刻間もなく。と言った所。
今晩の食事は振舞ってもらえる事になり、ひとつ面倒が無くなった。
それにしても、日が沈み始めると寒い。
アルコールの回り方も随分と遅い。
と言うか、酔えない。
すうっと息を吸い込むと、何処か、冬の匂いがする。
空には皮肉にも星が輝いている。
本当に明日は雨模様なのだろうか。

行動:鶴居村民広場キャンプ場

走行距離:0km


2004年10月11日 (月)

まだ日が昇らない頃には、確かにテントを叩く雨音はしなかった。
昨夜の星空を見ると、今日はひょっとして良い天気なのかも知れない。
夢見心地でそんな事を考えていると、ポツリポツリと、テントを叩く雨音がする。
僅かに見た希望は、無残にも意識から消え失せた。
気持ちを切り替えて、やはり今日は大人しくしているしかない。
それは運命だったのだと、素直にそれを受け入れる事にする。
受け入れたのと同時に、まさか回復するような事態にはならないだろうなと、勘繰ったりもした。

心配した天候は全く回復せず、今日も図書館へと足を運ぶ事になった。
昼食を図書館のホールで食べ、それからインターネットで天気のチェック。
明日はまずまずの天気のようで、予定通り事が運びそうだった。
DVDを1本見て、温泉に向かう。
いまだ雨は弱いながらも降り続いていた。
温泉から出て、キャンプ場に戻り、仲間と最後の晩餐を楽しむ。
私はそのつもりだった。
雨は相変わらず降り続いていて、本当に明日、回復するのだろうか、少し心配になってくる。

行動:鶴居村民広場キャンプ場

走行距離:0km


2004年10月12日 (火)

目を覚ますと、静かに耳を澄ませる。
どうやら雨の降っている気配はなさそうだ。
それに安心して明るくなるのを待ってからトイレに向かうと、外は霧雨が降っていた。
辺りはまだ湿りっぽい。
テントに戻り、ラジオを点ける。
ラジオから流れる天気予報は、道東方面の天気は晴れと言う。
さらに気温も上がり、夏日になると言う。
しかしどう言う事か、ラジオを聴いている最中に、ぽつぽつとテントを叩く音がし始める。
外では霧雨から小雨に、ランクアップした模様だ。
頼りにならない天気予報はもう飽き飽きだ。
しかし、それにすがるしかない様に、テントの中を片付け始める。

昼に近付いても、まるっきり天候の回復の兆しは無い。
これから撤収しても、とても満足な走りも出来ないし、ただただ我慢の走行になりそうだった。
そんな訳で、今日の撤収を諦めて、Aコープまで買い出しに出かける。
今晩と明朝の食料、さらに酒とつまみを買い込んでキャンプ場に戻ると、昼から酒を煽り始める。
夕刻までにはすっかりと出来上がり、機嫌はよくなる。
しかし、天候はそう言う訳には行かなかった。
明日こそ、きっちりと晴れてくれるのだろうか。
天気予報は確かにそう伝えているのだが。

行動:鶴居村民広場キャンプ場

走行距離:0km


2004年10月13日 (水)

昨夜はあまりにも早く寝た所為か、目を覚ますのも早かった。
トイレに発つ為にテントの外に出てみると、辺り一面、濃い霧に覆われている。
霧が出ていると言う事は、晴れるという前兆ではないか。
そう言う希望を込めて、テントに戻り、ラジオを点けると、そこから流れてくる天気予報は、必ずしも希望的なものではなかった。
果たして、今日こそは帰路に就けるのだろうか。
今日の北海道は、初雪の便りが届きそうなのだが。

取り敢えず、テントの中を昨日と同様に片付ける。
濃く立ち込めていた霧は晴れたのは良いが、空には雲が掛かってしまっている。
朝食を食べ終わり、テントの撤収に取り掛かる。
雨さえ降っていなければ。
テントの撤収を終え、荷物を全てアメディオに積み終わると、キャンプ場の仲間に、本当のお別れを告げる。
今度こそ間違いなく、私は北海道を離れる。
なんだか寂しい気分になるが、2度目と言う事もあってか、あの時よりは幾分かマシだった。

キャンプ場を出て、進路を一旦北へと取る。
弟子屈の街で更新作業をしようとするが、バッテリーが上手く充電されておらず、中途半端な形のまま終えてしまう。
弟子屈の街からは西へ西へと。
天候は相変わらずと言ったものだったが、すっかり紅葉も進んで、景色に見とれる場面も増える。

R241 紅葉した木と青いままの木のコントラストに見とれてしまう。


双湖台から眺めるペンケトウ。
紅葉がかなり進んでいる。



R241 雌阿寒岳が眼前に。しかし、山頂は雲に覆われてしまっている。

なるべく走った事の無い道を選びながら、それでも日勝峠を越え、またローカルな道道へと入る。

道道54号 十勝型事故を起こしそうな典型的な道。
と言うのも、止まれの標識が少ない。



R274日勝峠。標高もあって震えながら走る。


R273 紅葉時期はとても綺麗な景色が広がる。
道は轍だらけで走り辛いが。


日が東の空へと沈む頃、苫小牧東港へと辿り着く。
フェリーのチケットを取ると、最後の更新と買い出しの為、苫小牧の街へと向かう。
丁度4ヶ月前、この港から意気揚々と旅立ち、同じ道を辿り、そして最初の更新を行ったコンビニで、最後の更新を行っている。
明日の夜には、私は本州の地を踏んで、久しぶりに布団に包まっている事だろう。

フェリーターミナルに戻ると、秋田、新潟港を寄港する便が乗船準備を始めている。
驚きだったのは、この時期、この中途半端な曜日に北海道から帰るライダーが居る事だった。
関西地方のナンバーを付けたオートバイは、その寄港便に乗り、恐らく舞鶴まで帰ったのであろう。
彼と話した内容は、敦賀直行便に乗るとばかり思っていたので、挨拶程度だったのだが。
直行便はその寄港便に遅れる事4時間後に乗船開始となる。
乗船までの時間は、待合室でテレビを見ながら過ごした。

乗船時間が近付いてアメディオの元に戻ると、これまた驚いた事に、オートバイが2台ばかり増えている。
まだまだ北海道に残って走っているライダーは数知れずと言った所か。
疲れていた事もあり、積極的に話しかける事はせず、そのままフェリーに乗り込んだ。
フェリーに乗り込むと一直線に風呂に向かい、その後アルコールをしこたま飲んで、飲んだくれた。
今日はやけにフェリーが揺れる。
波の所為なのか、アルコールの所為なのか。

行動:道道53号〜R274〜道道53号〜R241〜R242・R274重複区間〜道道499号〜道道134号〜R274〜道道54号〜道道133号〜R274〜R237〜道道131号〜道道74号〜道道59号〜道道287号〜R235〜苫小牧市内(折り返し)〜R235〜新日本海フェリー

走行距離:408km


2004年10月14日 (木)

いよいよ最終日。
この日が来るのを、とても望んだとは言えない。
昨夜のアルコールがまだほんのりと体に残っている様な気がする。
天井がぐるぐると回り、真っ直ぐには立てそうも無い。
そんな、とても良好とは言えない最終日の朝を迎えた訳だ。
取り敢えず、胃に何かを入れたくて、昨日買ったおにぎりとカップラーメンで朝食を済ませる。
それが悪かったとは言えないが、胃がそれらの受け入れを激しく拒んだ。
どうやら船酔いをしてしまったようだ。
昨夜のアルコールの所為かも知れない。
横になっても気分はすぐれず、本格的な船酔いが始まった。
まだ航海が始まって7時間ばかり。
まだ13時間は優に残っている。
この13時間を気持ち良く過ごすには、やはり、薬の力を借りねばなるまい。

薬と言っても、酒を頼りにするほど愚かではない。
案内所が開くのを待って、それから酔い止めの薬を求めた。
こう言った場合、大抵、案内所に薬は置いてある筈なのだから。
予想通り薬はあったが、一瞬、その値段にたじろいだが、背に腹は替えられないと言う事で、630円を支払って薬を購入する。
欲しかったのは1錠だけで良かったのだが。
すぐさま薬を飲んで、小1時間ほど眠りに就く。
こう言った薬の場合、睡眠を誘うものが多いので都合が良かった。

次に目を覚ますと、随分と気分はすぐれ、船酔いの気配は無くなっていた。
薬の力は偉大だ。
とは言え、まだまだ予断の出来ない状態ではあるが。
フェリーの中を歩き回り、そして1時間ばかりテレビを見て過ごす。
やがて手持ち無沙汰になり、昨夜買った酒とつまみを持ち出して、パソコンのキーを叩いて過ごす。
まだ、薬を飲んで3時間が過ぎたばかりの頃だった。
これが愚か者が愚か者たる由縁なのかも知れない。
そう、私は愚か者なのだ。

幸い、船酔いがぶり返す事は無かったが、どうも身体の調子がおかしくなったようだ。
眠たいのだが眠れない、疲れが溜まったような感じで、首の周りもしんどくなっている。
フェリーの中をうろついて気分を紛らわせたり、横になったり。
やがて、時間が全てを解決してくれたのだが、肝心の敦賀港の天候は雨、気温14度。
普通に寒くない?
と言うか、今年の北海道は暖かかったのだろうか。

レインウェアに身を包んでフェリーを降りる。
私以外のライダーは普通の格好なのだが。
でも、フェリーの外はしっかりとした雨足になっている。
すぐさま雨に視界を奪われる事になる。
予想外の出来事だった。
必死に視界を確保し、先へと急ぐ。
天気予報では明日は快晴。でも今晩は日本海側のごく狭い地域で雨。その雨に当たってしまっていると言う訳だ。
滋賀との県境を越えれば、恐らくこの雨も止む事だろう。
そう願わずにはいられない。
滋賀との県境に入っても、雨足は相変わらずで、一向にペースが上がらない。
それも琵琶湖の湖岸沿いを走るさざなみ街道までだった。
そこからは雨も止んでくれて、ペースアップを図る。
路傍に設置された気温計は10度。やはり寒い。
でもレインウェアのおかげで、寒さに関しての対策が皮肉にも出来てしまった訳だ。

約1時間半後、私は自宅の玄関前に立っていた。
レインウェアをすぐさま脱ぎ捨て、アメディオに積まれた荷物を次々に降ろして行く。
この旅も終わりだな。
不思議とそんな感傷的な気分にはなれなかった。
何処かホッとして、早く風呂に入ってビールを飲んで、ぐっすりと眠りたいと言う欲望が芽生えるだけだった。
事実、冷蔵庫の中にビールを見つけた時には、嬉しくて仕方がなかった。

行動:新日本海フェリー〜R8〜さざなみ街道

走行距離:107km
週間走行距離 515km
総走行距離 9204km
給油 14.0L(261.6km) 計482.7L(8915.6km)
16.2L(293.5km) 計498.9L(9209.1km)
諸経費 新日本海フェリー:18500円(内オートバイ10300円)
ガソリン代:1830+2010=3840円
Route-D > 第10章
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